継続。

前、お昼にある人達と「昔何のクラブやってた?」て話のときに、
ソフトボール部やたけど途中で辞めて、テニス部やったけど途中で辞めて、軽音楽部やったけど途中で辞めた」っていう私の華麗な諦め遍歴を伝えたら「辞めてばっかりやな」ってその中の一人に言われた。ほんとに、そうです辞めてばっかです

中学校で、ソフトボール部だったころは、部活中守備をしている最中も、その日の理科で習った地震のS波とかP波の疑問点だったなんたらが気になって、守備に集中できず、そんな日々がひたすらつづき、結局部活に行かずに放課後は先生に質問しに行ってわからないことを教えてもらって解決してスッキリして、その後部活に行ったり行かなかったり…という生活だった。

ただ、ひたすら勉強はしていた。教科書の文章をページごとに全文暗記する勢いだった。学年一位の回もあった。でも、定期テストで1点でも前回より点数が下がると、ほんとに落ち込んで、自分はダメだと思った。1点を取り返すために、勉強した。

高校のころ、テニス部だったころは、最初は経験者ということで皆よりテニスができたが、だんだん周りの子たちも努力して上手くなり、そんな中自分は(恐らく)「できる」というイメージから、一応レギュラーで試合に出させてもらっていたが結局毎度結果が出せず、先輩や周りにも迷惑を掛け、そんな状況がいたたまれなくなり、その時期ぐらいのちょっと前かあとぐらいから、周りの上手い子たちがレギュラーとして呼ばれ試合に出るようになり、なぜそうなったのかはわからないが、たぶんわたしは、下手なのにそこにいることへのいたたまれなさと、いつか直近の未来に「不要」と言われるなら自分から去ろう、という気持ちの働きからか、テニス部には段々足を運ばなくなっていったのだった。

周りの子たちが勉強できる子たちばかりの高校だったが、わたしは勉強が特にできず、数学でも2などばかりだった。が、特に気にすることはなく、小論文や感想文でよい評価だったから、まぁいいや、ぐらいに思っていた。
ある時、化学で10何点とかいうひどい成績だったが、次のテストの際に化学だけ頑張って勉強したら(むしろ化学してなかったせいで他があまりよくなかった気がする) 80何点とかで一気に60点分近く上がったことがあった。やればできるんちゃうん、と思い、結局そのあとなにもしなかったと思う。

ちょうどその時期、ギター部にも通っていたが、こちらもびわこ湖岸でピアニカとギターを演奏したり、「ストリートでやろうよ」って言って、ユニット名とか決めて盛り上がりながら、結局何もストリートなミュージックを行動にうつすことがなかったという、典型的な「俺はまだ本気だしてないだけ」状態だった。

大学のころの軽音楽部は、部活見学の際にたまたま一緒に見学してて話が合った女の子と意気投合して、ともにその軽音楽部に入って最初1回生の前期のころはその子ふくめてバンドを組むなどしていた。が、1回生後期ぐらいから、寝坊したり心がぐるぐるしたりしてか、あまり学校に行かなくなって、なぜだろうか、結局軽音の毎週の総会にも顔をだすことがあまり無くなった。
「毎日せめて3分間、ベース練習」って書いた紙を部屋に貼ってたけど、練習がたぶん好きじゃなかったのだと思う。最低だと思う。
元々の原因は、なにがおもしろいのかよくわからない内輪ノリに違和感を感じて、合わなかった(合わせようとしながらとどまろうとする努力をしなかった)ことが原因としてかなりあると思う。

スポーツだと、どの部活入ってもコツが分かるのか最初は他人より出来たから(昔は)、なんやこんな感じなんか…って思って余裕ぶっこいて努力せぬ間に他の人達が地道にコツコツ努力して、結果抜かされる、→めんどくさくなって辞める、という人間のくそすぎるパターンを何度も繰り返して来たのだった…

大体の人間は、「継続」したり「努力」したりすることが、すごく苦労しながらも普通にできると思う。
心が折れそうになりながらも、最終的には「いや、それでもがんばろう」と思える心が。持ち合わされていると思う。
なぜ私はそれが昔から、特に思春期ぐらいから、出来なかったのだろう。
小学生ぐらいのころ、中学生ぐらいのころ、足もクラスである時期一番速かったり、絵を描いたら展示会に出展してもらえたり、リコーダーで流れてた曲を耳コピしてお昼の放送の時間に吹いたり、特にがんばらずともある程度―その小さなコミュニティで必要とされることなら―何でも出来てしまったからだろうか。

結局はすべてが言い訳に過ぎない。