途中下車の駅の錆びたホーム。

どんな仕事も、きっと世の中の役に立つから存在する訳で、
でもその役に立ち方というのが、間接的な、ビジネスライクなものかどうかっていうのが。
人の心に直接働きかけて役に立つ仕事もある。
自分がしたいのはどっちなんだって。
「メーカーです。BtoBです。世の中の製品のどこかに使われている器具で、それは世の中で人々の役に立っています。でも知れるのは、直接その人達の声ではありません。先方は、仮面をかぶって本心をあらわそうとはしません。だから、こちらも、どれが本心かわからず、どれだけよさそうでも相手をどこかで疑ってかかります。その笑顔ですら。」
ガスや水道や電気も、全部多くの人の役に立ってるしそれが無いと生きられない訳だけど、でも、直接的じゃないよねとか。
BtoB、ビジネスライクの関係って、先方に対して思ったことや腹立たしいことがあっても、それを直接感情的に伝えず、抑えて、裏で何かをいったりする。文面では冷たい言葉で淡々と。
だから仕事のメールで、形式に囚われないような、あったかい言葉や感情が乗った言葉が来たりするとうれしい。どうしてみんな、そういう風にしないのだろうと思うけど、もしそうしたら、きっと効率が悪くなって、世の中がまわらなくなるからで、世の中をベルトコンベアのようにきれいにスピーディにまわすために、みんな、そうやってメールのビジネスマナーなんかがあるのだろうと。
消費者を相手にする仕事では、相手は何か思ったり腹立たしいことがあったら、相手はそれをそのままぶつけて来てくれる。感情を伝えてくれる。仕事じゃないから、感情の規律から解放されているから。
人間 対 人間 なのだから。人の心にふれたい。

行く宛のないまま旅に出たよ。

引っ越そうかな、引っ越したほうがいいか

自分のことは全部、自分で出来るようになって、
自分で責任を持てるようになる 。

未来への手紙お預かりサービス|カナタからの手紙
http://kanata-tegami.com/

こんな心温まるサービスがあることを知った。
3歳の息子にハタチになったときに読んでほしい手紙を書いて
このサービスを利用しているお母さんの、息子に向けた愛のある言葉が載っていて
なんだかそのあたたかい思いに涙が出た。
「泣き虫で、野菜が嫌いで、アイスが好きで・・・
その頃は変わっているのかしら?」
って、ね。
人が人に繋ぐ分だけ、人がいる分だけ、歴史がある。

5年後10年後の自分に向けて書く手紙があるとしたら、
そこに書く内容があるとしたら、

「自分、何やってるんやろう」って、本当は何がしたいんだ、どんな風に生きたいんだって常に考えて自問自答しろ。
その言葉だと思う。
ちゃんと自分の人生に責任を持ててるか?
今のままでいいのか?

物事の善悪の判断。

私自身、実際自分がその立場じゃないからよくわかっていないと言うか、相手の立場や色々なひとの立場を想像して理解することはできてないけど、なんかいろんなひとの意見きいてよくわからなくなって整理したくなって。何が問題かを洗い出したくなって。書くけど。
神谷さんリリイベの件。
・まず、名前の書き方を変えて応募すること自体は、私は別に悪いことじゃないんじゃないかと思う。kiramuneのサイトや応募の注意事項には、1人1枚までしか応募できないとか書いてたのかな?と思ったけど、そういったことは書いてなかったし、つまり複数買いの複数応募はOKということか。で、実際応募する際に、何枚も応募してたのなら、気分的になんとなく、名前をひらがなでかいたり、漢字でかいたり、すると思う。私なら。それは特に他意や意図があるわけじゃなくて、ただなんとなく、気分で。ほら、何かいろいろ応募するときでも、今までの自分の経験を思い出してみて、名前ひらがなの方が当たりやすかったかなって思いがあれば、応募するうちの何枚かは変えてみるやろうし。まさか重複当選するなんて思いが無い、そういう応募前の気持ちから来ている行為だと思う。で、これの最終的に何が問題かと言うと、名前の書き方を変えて応募する、ということが、膨大な数の応募が来ている当落仕分けのスタッフさんたちにとったら、イチイチ判別してられないと言うか、名前の違いを見逃して重複当選させられてしまう、という、その可能性もある、という未来を事前の想像力で以て思い描けなかったこと、大きな想像力の欠如に問題があるのかな、ということかと私は思うわけで。まあ、当選させるときに住所とか同じなら、分かるものなのかもしれないけど、今回は当選はハガキで来るんじゃなく、メールで来たのだから、住所までイチイチ見ていないと言うか、その辺りはスタッフさん的にも仕方ないことなのかと思う。そもそも名前の書き方さえ最初から自分で統一していれば、今回のような重複当選なんてことは起こらなかった可能性の方が高いだろうし。(ちなみに私は今回は応募もしていなければ購入もしていないので、実際応募の要項がどんな感じで、どういう情報を入力して…という話については、サイト上で分かり得ることしか知らない現状)

だから一つ目の問題としては、
・想像力の欠如
名前の書き方を変えて応募するのは、不正だとか言ってるひともいたけど、私個人としては、私のモラルが問題なのか、それ自体は仕方ないと言うか、完全に悪いことだとは思えない。

ただ、たぶん問題は次の話で、
それよりももっと核心の問題としては、
・2回目のイベントが重複してしまった、どうしよう→重複した分は他の方に行ってもらうためにも(正式な形、再抽選とかそういう形で)スタッフさんに「重複した分の権利を他の方にまわしてください」と、そう連絡しないかったことにあるんだろうなと思う。
その方は、重複した権利を他の方にまわそうとせずに、まず、1回目重複当選した方を探そうとして1回目との交換先を探そうとしたから。で、探して、スタッフさんに連絡して、もし、交換がOKだと正式にスタッフさんからOKが出たなら、重複した者同士、交換して各回のイベントに参加しよう、と。
私はまあ、本人以外参加不可、つまり交換も出来ない、と事前に言われているイベントである以上、重複した方を探したところで結局無駄と言うか、どんな事情があっても他人の権利で入場することはできないだろうし、相手を探してスタッフさんに連絡したところで、結局それは「交換」扱いになるから取り合ってもらえないだろうな、という気がするだろうし、その立場ならやめると思うけど。
でも、この一件に関して、「そういうことして今後イベントが開催されなくなったりしたら困る」と言っている方もいて、私はちょっとそこの話まで想像広げられなかった。
仮に、もし、じゃあ、(あり得ないとは思うけど)、スタッフさんから正式にOKが出て、重複交換ができたとしたら、今後イベント開催がされなくなる・・云々の話は関係無くなるよね?正式だから。
だから、そういう心配をしているひとたちの心配の先としては、例えば「名前の書き方を変えて”不正に”応募しているひとがいる」という点についてなのかな? 本人しか参加できないイベントなのに、重複当選の可能性がある書き方をしている、紛らわしいやつだ、という点で? でも、そんなんで開催されへんなったりするんかなーって正直疑問には思う。私の想像力が乏しいから、当事者じゃないから、一体その心配がどこに向いてるのかがよくわからない。なので、その心配の真意を知りたい。交換しようとしているひとがいる、という程度の話では、それが裏取引ではなく、ちゃんとスタッフさんに正々堂々連絡行っている公知の話なら、別に、開催されなくなるほど大ダメージじゃない話だと思うんだけど、どうなんだろう。彼ら彼女らは一体何を心配しているのだろう。
(本当申し訳無く、「申し訳ありません…私が特に何も考えず名前を書き方変えてしまったばっかりに、重複当選してしまいまして…本当に申し訳無いです。。他の方を当選させてもらうことはできないでしょうか?」っていう言い方なら、開催に問題は無さそうに思う。ただ、確かに言われてみる通り、「申し訳ありません…私が特に何も考えず名前を書き方変えてしまったばっかりに、重複当選してしまいまして…本当に申し訳無いです。。でも交換させてもらえないでしょうか?」っていう言い方なら、スタッフ「えっ」(最初から交換ダメって言ってたやん…)って驚愕になるかもしれんけど。でもまぁ、それでも次から「開催されなくなる」までのダメージじゃない気がするよなぁ。行っても「次から同じ名前の書き方でしか応募できません」になるぐらい?こればかりは応募者のモラル?の問題やから、運営がそれ以上どうにか規制できそうな問題でもないしなぁ。ってことで、次からのイベント開催自体にはものすごい大きな問題って問題は無いのかな…と思うのだが甘い考えなんですかね…やっぱり。)

何枚もCD買って同一名義で応募したひとも、たくさんいるだろうから、たぶんこれが、その人が名前の書き方変えず同一名義で何枚も応募した結果、重複当選したという話なら、確認しきれてなかったスタッフさんもわるいと言うか、ちょっと違って来た話になるやろうね。ただ、そのルートを歩んでも、選択肢が結局、重複当選したから交換してくれるひとを探す、という今と同じ選択肢を辿れば、今と同じエンド、炎上エンドになったのだと思うけど。

その人を非難ごうごうしてる女性たちが、本当にニュートラルな目線でみて、人として見た時にそれをアウトとして非難してるのか、嫉妬じゃないけど、そういったネタネタした気持ちも入りながら非難しているのか、その辺りのことが気になります。
名前の書き方変えの話とかを、一言で”不正”と言ったり、不正という感覚が私にはなかったので、ちょっと驚いたと言うか、そういうところがあったので。
その人を守るつもりじゃないけど、その人が知り合いというか、Twitterでフォローさせてもらってて何度か会ったことある方だったので、公私混同じゃないけど、一瞬、物事の善悪の判断が、つかなくなっていたよ。
当事者じゃないっていうのもあるかもだけどね。

こう、あらためて、自分の想像力の無さを物語りますね。

面白きことは良きことなり!

本日の有頂天家族のイベント、有頂天祭'14がとても楽しかった面白かったという話を聞き、あああ行きたかったなああと思う次第です。
お昼の朗読劇がすごいボリューミィで面白かったとかで…!金閣銀閣のアドリブがすごくよかったとか、すごく練習して臨んだんだろうなぁということが感じられてとてもよかったって感想見掛けて、もう高鳴るこの胸、ハートビートでケンシロウのように服がドバァって破れそう。いやほんと、あの素敵な世界を朗読劇でちゃんと魅せてもらえたら、大満足だろうなあと。


(↑高鳴るハートのイメージ図)

私は去年の6月の、京都南座であった先行上映イベントには行ったのだけど、そのときはやっぱり、放映前ということもあって、監督やキャストさんがトークするだけ、というイベントで、ちょっと物足りなさもあってその印象があったから今回も見送ってしまったのだけど。これは行けるなら行っておけばよかったなと。昨日の京都劇場での有頂天家族舞台もね。どうしてこう、本当に良いものは見送ってしまうことが多いのかと(で、あとで後悔する…)。
やっぱり、作品の「世界」を好きだなと思えるものに関しては、行く時間の余裕・お金の余裕があるなら、行っておいた方が良いんだな…とあらためて学びました…。キャストさんとか一切関係無くね。去年の進撃朗読&音楽イベもそうだったしね。始まる前から、面白いかどうかわからない…と言っていたら、出会えるはずのおもしろいものにもなにも出会えない。
本日の有頂天祭は映像化、してくれるのでしょうか。カメラ入ってたのかとかどうなのかわからないけど、してくれたらいいなあと思う。
そしてDVD今から1巻から買って全巻揃えたら遅いだろうか(笑) コメンタリーとかも気になるし。いやふだんはDVDとか買わないんだけど、これはずっとそばに置いておいてもいいんじゃないかと思って。結構な額、掛かるけどね。

諏訪部さんが全天球画像アップしてらした、弁天様と矢二郎兄さんのケーキ!!うおお…!!中の人のお誕生日祝いを幕間にされてたんですね!^//^ お顔がほこびました。

そんな感じの、世は大雪の日。
阿呆の血のしからしむるところ、どんな世から一歩はずれたことをしてもそんな風に済ませてもらえるかっこいいたぬきに、私はなりたい。

めがてん。

びっくりするほどつまらなくて、びっくりしている(繰り返し)。

外に出れば何か変わるかと思い午後から外に出てみたが、つまらなさが増し増ししてびっくりした。

本屋に行ってもテンション上がらないし、むしろ早く帰りたいし、でも家に帰ったところでアニメも観る気起きないし、どうなってるこの身体。この心。
このまま死んで行くのかという感じの、やる気のなさ。唯一の救いは、外に出ながら今聴いている耳元の音楽だけだが、それも総合的に見ると微力の力にしかなってない。気がする。
これは。まずい。このつまらなさ。何が原因だ。このままずっとこんな感じなのか。

風が吹けば、また一人。

アドリブ舞台大阪1日目、夜の部行って来ましたー。
想像してたより…ほっこりな舞台でした。
お昼の回は結構シリアスでえぐくて迫真の展開だった…と聞いていたので、どんな風にえぐられるんだ…ほれ、ほれ…と左胸を差し出しながら(いつでもえぐってくださいよ、のアピールの意)夜の部に臨んでみたら…ふつうにほのぼの、いい話ですこし拍子抜けだった。ウダタカーシ氏も、終演後の軽いキャストトークの時に「東京から今までやって来たけど、こんなほっこりした感じで終わったのは初めての展開」って言ってて、そうだったのか…と。

とりあえず、内容としては、地球が終わる最後の日に、車で事故って雨降りしきる中、ある屋敷の門戸をたたくことになったひとりの花火師のおじさん(鈴村さん・40代設定)と、その屋敷に帰って来た「息子」を名乗る若い男(梶くん・28歳)の話。(地球が終わる最後の日っていう設定は、まもちゃん回のときにもレポで見た気がするから、これは使い回されていく設定なのかな)「息子」を名乗る って言っているのは、あとでいろいろこれに関して解き明かされて行くからなんだけど…。
とにかく、屋敷に迷い込んだ花火師を帰って来るなり「父さん」と呼ぶ若い男。花火師が「いや、俺は父さんじゃないぞ!独身だぞ!」と何度否定しても、「もうーまたまたぁー♪」みたいな感じでひたすら父親扱いしてくる若い男、もとい梶くん(笑) ほんと、最初どうなるかと思うぐらいかみ合ってなくて、梶くんは「父さん」扱いしたがるんだけど、鈴村さんの花火師は「いや、おれは違う」の一点張りだし、設定がかなりグラグラしてて、誰も正解がわからない感じで、そんな中で出て来た、お客さんからのアドリブ台詞の梶くんの引きが「もう限界です」 !!(笑)
今日でイチ・ニを争う、状況を表現する素晴らしい引きでした…(笑) 言わなかったけど、思ってた…客席にいても、限界だったよ…(笑)
最終的にはなんとかなったけど、あとで終演後のキャストトークの時に梶くんが「あの時、鈴村さんが、本気でイライラしてるのがわかった。。(笑)」って言ってて、ああ…うん…ってなった。
梶くん、あそこで曲げずにかなり押したよね。あの押しはびっくりした。。あとでの便利屋っていう設定につなげることを考えてたからなのかな? って言っても、「夜の部は最初と最後のざっくりした設定以外、自分の中で考えずに臨んだ」って言ってたしなー。意図があったのか。どうなんだろう。

と、書いたところで…夜も遅いので今日はもう寝よう。
続きはまたこんど。
明日は潤々回のアドリブ。と、VitaminRイベント。果たしてどうなることだろうか。